下吉田駅の駅に特別な日がくる。フジファブリック志村正彦の音楽をみんなで紡いだメロディー

フジファブリック 志村正彦さん


下吉田駅の駅に特別な日がくる。フジファブリック志村正彦の音楽をみんなで紡いだメロディー

列車接近音にフジファブリックの楽曲を採用

ロックバンド「フジファブリック」志村正彦さんの故郷、富士急行線下吉田駅では、列車接近時のご案内として同バンド曲「若者のすべて」「茜色の夕日」が流れます。
Vo. 志村正彦さんの歌声をそのまま接近曲として採用します。


使用楽曲について

大月方面行き「茜色の夕日」

作詞/作曲:志村正彦

茜色の夕日眺めてたら少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、 子供の頃の寂しさがない

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

フジファブリック / Licensed by USM JAPAN, A UNIVERSAL MUSIC COMPANY

河口湖方面行き「若者のすべて」

作詞/作曲:志村正彦

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

世界の約束を知って それなりになって また戻って

街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きをとり戻したくなって

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

フジファブリック / Licensed by USM JAPAN, A UNIVERSAL MUSIC COMPANY

補足情報:
高校の音楽の教科書に「若者のすべて」が採用されました。
他にも高校の国語の副読本に同バンド曲「桜の季節」が採用されました。


ホーム上に特設パネルを設置

志村さんのプロフィールや、今回導入する楽曲の紹介を記載した特設パネルを設置します。
デザインは、フジファブリックのCDジャケットやグッズデザインも手掛けていた柴宮夏希氏が担当。志村正彦さんへの想いが込められた特設パネルです。

下吉田駅 パネル設置イメージ

オリジナルヘッドマーク付き列車の運行

オリジナルヘッドマーク付き列車イメージ

2曲のもつ叙情的な雰囲気を一枚に表現したオリジナルデザインのヘッドマークを付けた車両を、運行いたします。 志村正彦さんの音楽を世の中に広く伝えたいという思いが込められています。

運行期間
2024年7月5日(金)〜2024年7月15日(月・祝)
運行計画
普通列車を中心に運転
※運行時刻は予告なく変更となる場合がございます。予めご了承ください。

志村正彦さん

フジファブリック
志村正彦さん

志村さんは富士吉田市に生まれ育ち、高校卒業後、ミュージシャンを志し上京。
ロックバンド「フジファブリック」を結成しました。ボーカルとギター、作詞作曲を手掛け、2004年に念願のメジャーデビューを果たしました。
独創的で叙情的、心を揺さぶる詞とサウンドは多くの若者を中心に支持され、新時代を切り開くロックの旗手と期待されていましたが、2009年12月 29歳の短い生涯を終えました。

遺された多くの楽曲は幅広い世代に評価され、光を失うことなく愛され続けています。
また故郷を舞台とした曲も多く、彼が生涯持ち続けたこの街への愛着が感じ取れます。

今回導入する「若者のすべて」は、高校音楽の教科書に採用されました。
他にも高校の国語の副読本に同バンド曲「桜の季節」が採用されました。


紡ぐ -つむぐ-

きっかけは、志村正彦さんの同級生である当社社員のある思いでした。
小さな想いが重なり合い、約2年の年月を経て今回のプロジェクトがここまで成り立ちました。
すべての人の心に響く、志村正彦さんの歌声・音楽が、この先もずっと在り続けるように富士急行線では列車接近音としてこの楽曲を流してまいります。

下吉田駅

社員の思い

下吉田の駅に特別な日がくる

きっかけは、テレビで流れていたフジファブリックの特集でした。

内容は、志村正彦くんが亡くなって10年たってもなお、彼の音楽を通じてたくさんの人がつながっているというものでした。
妙にその番組に感動して、私にも何かできることはないかと思いはじめました。

私ができることって何か。

たまたま富士吉田に暮らしていて、富士吉田で働いていて、勤務先が鉄道会社・・・。
電車の接近音が彼の音楽になったら、たくさんの人に喜んでもらえるかもしれない!

本当に実現できるかどうかわからなかったことと、私の個人的な思いで会社が動いてくれるのか不安だったので、会社の中でもごく少数の人に話をしました。
話をしたら、私の思いを超えるほど「実現したい」という熱意を受け取ることになります。

そんなことが漠然と決まってから、いつも会社で聞いていた夕方5時のチャイムを、 2019年の12月24日、下吉田の駅に聞きに行きました。
辺りはもう薄暗くなって、手がかじかむほど寒い中たくさんの人が下吉田の駅に集まって、その時を静かに迎えていました。
もうそれだけで、胸にせまるものがあり、
そして、その光景は「絶対に実現したい」と決意させるものでもありました。

そんな思いで進みだしたプロジェクトでしたが、残念ながら新型コロナウイルスの影響で、様々な環境の変化により一旦中断となります。

時がたつ間に、また偶然にもいろいろなことが起こります。
正彦くんの同級生で彼のことを応援している「路地裏の僕たち」のメンバーから何かできないかと相談がありました。彼らの活動や、思いも活動当初から知っていたので、なんとか形にしたいと再度、会社に働きかけていきました。

また、富士吉田市の地元の高校生による「#私たちのすべて」の活動により、富士吉田市出身フジファブリック・志村正彦の音楽を広めたいという思いが、会社全体へ大きく広がり、プロジェクトが前へ前へと進みはじめます。

それから、多くの関係者の方のご理解・ご協力をいただきながら、このプロジェクトに携わっていただいた全ての方の熱い思いが形となり、”特別な日”を迎えることとなりました。その”特別な日”を受けとめてくれるたくさんの方がいるということが、本当に嬉しく思っています。

彼の音楽が、彼の故郷にまた一つ新たに流せることにあらためて感謝して、たくさんの方に彼が創った音楽を、そしてこよなく愛した富士吉田の魅力を知っていただきたいです。


製作に携わってくださった方々の思い

パネルデザイン

志村が私たちの前から姿を見せなくなって、10年以上の歳月が過ぎました。
でも、彼の遺した曲、言葉、存在は、今でも色濃く鮮やかさを失いません。
なぜなのか?

みんなの中の志村正彦が大切されているから。
見えないけど大きくなっていく彼の存在感。
月日が経つと共にそんな空気をぼやっと感じていました。

今回の下吉田駅の企画を最初に聞いた時、そのぼやっとした空気が、ピーンと糸を引くようにはっきりと繋がるのが見えました。

散れじれの、志村への小さな想いがよりあつまって姿を表した!
駅ホームのパネルは、そんな想いを「紡ぐ」と題して描きました。
この先もたくさんの想いがずっとずっと紡がれ、強く大きなものとなっていきますように。

これからも楽しみだね、志村!

nemo graph. 柴宮夏希

翻訳

忠霊塔・富士山・桜がそろう、この絵葉書のような街を、こよなく愛したミュージシャンがいたこと。
The Chureito Pagoda, Mount Fuji and Cherry blossoms – there once was a musician who loved this picturesque city.

彼の作った音楽は、日本の宝だということ。
His music is a national treasure.

志村さんはインタビューで、世界に活躍の場を広げるため準備をしていると語っていましたが、残念ながらその夢が叶うことはありませんでした。ご自身が思い描いていたものとは違えど、11年という時を超え、下吉田の地で海外デビューの第一歩を踏み出したような気がしています。今回も、多くの「偶然」と「奇跡」が重なり、このような運びとなりました。企画に携わって下さったすべての方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。
In an interview, Shimura once said that he was preparing to launch the band onto the international stage. His untimely death however, prevented this dream from coming true. This isn't perhaps exactly what Shimura himself had imagined all those 11 years ago, but in some way, I feel that this exhibition is his “international debut” made in Shimoyoshida. What you see today is nevertheless the culmination of many “chance encounters” and “miracles”. To this end, I would like to extend my heartfelt thanks to all those who have participated in the preparation, design and realization of this project.

日本の宝から、世界の宝へ
From national treasure, to global treasure

富士山麓から世界へ!響け!フジファブリック!!
From the foothills of Mount Fuji to the world! Hear our voice! Fujifabric!

翻訳担当: セリーヌ・ガーバット 杉山麻衣  
Translation and Coordination:
Céline Garbutt Mai Sugiyama


・デザイナー(Design & Illustration : Natsuki Shibamiya (nemo graph.))
・フォトグラファー(Original photograph : Seiji Shibuya)
・翻訳者(Translation and Coordination:Céline Garbutt, Mai Sugiyama)

JASRAC許諾
第 9027529001Y38029 号